沿革

石川商店の生い立ち。三代目、石川弘樹から見た石川商店の軌跡をご紹介します。

初代:石川 博

石川商店のルーツは愛知県高浜市にある。ここはかつて「三河」と呼ばれていた場所。この三河に住んでいる全「石川」さんの祖先は、石川数正であると言われている。石川数正は、戦国時代から安土桃山時代にかけて、徳川家康の片腕として活躍したが、小牧・長久手の戦いの後に徳川家を出奔して豊臣秀吉に臣従した武将・大名である。そしてさらに石川数正の祖先は源義家(八幡太郎義家という呼び名の方が有名?)と言われている。源義家は、源頼朝や足利尊氏の祖先にあたる人物。その源義家の六男の源義時の子孫のうち、下野(現在の栃木辺り)に住んでいた石川さんが、室町時代の浄土真宗の僧、本願寺第8世、「蓮如」に随行して三河に流れ着き、定住したのが三河の石川さんのはじまりだそうです。(引用:wikipedia)、、、そこまで聞いてないと思いますのでそろそろやめます。

それはさておき、繋がってるかは分かりかねますが、源頼朝・足利尊氏・石川数正の子孫?、石川島吉・ます夫婦の長男として1917年(大正6年)10月30日 に石川博は生まれる。父・島吉が老舗瓦メーカーである「神清」さんで働かせて頂いていた。それが瓦との縁で博は、愛知県高浜市の自宅の300坪の土地を利用し、瓦の製造を始める。土を購入して練って成型して乾燥して敷地内のダルマ釜で焼いて仲買(なかがい、問屋の手前、今で言うバイヤー)さんに販売していた。

34歳になった1951年(昭和26年)5月11日、博は東京は荏原に土地を購入して瓦問屋、株式会社石川商店をはじめる。その商品を父島吉を通じて仕入れた。しかしながら瓦問屋という以上は品揃えが必要になり、父島吉は神清さんを退社し、仲買を始め、しばらくは島吉から仕入れていた。その後すぐに時代の流れで仲買業は廃れ、瓦問屋が窯元(かまもと、メーカー)から直接買うようになった。 当時は三州産(三河産)の瓦は、貨物列車(貨車)で大崎駅に到着する荷物を三輪トラックで取りに行っていた。創業10年後くらいから三州産の瓦の引取りを関東界隈で初めてトラック便に変更した。つまり窯元から直接会社まで持って来るようにしたのである。

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NHK大河ドラマ16作目「黄金の日日」に出演 主演の六代目 市川染五郎(現:九代目 松本幸四郎)さんと共演させて頂いております。始めは瓦作成の技術指南役としてNHKさんに呼ばれて現場入りしたものの、独特の技術を短時間で教えるのは難しいと判断され、「YOU、出ちゃいなよ!」的に急遽、鬘・衣装・メイクを施され出演に至る。

二代目:石川 保博

石川博・みさを夫婦の長男として1944年(昭和19年)8月6日に保博が生まれた。トラック便を初めて1・2年後、つまり1960年頃の高校生の時から車の免許を持っていたので配達の手伝いをしていた。大学1年で大型の免許を取得し、 体育会自動車部だった事もあり車の運転には自信があった。 大学3・4年生くらいから本格的に仕事を手伝うようになった。

夜に東京を出発し、三州、愛知へ瓦を取りに行き、朝には瓦を積んで戻って来て、そのまま大学に行くという生活をしていた。大学卒業後、1・2年で問屋でありながら工事業を始める。当時、屋根材としては瓦が主流だったが、ちょうど化粧スレートというセメントをプレスして製造した屋根材が登場した頃で、その新しい屋根材を率先して取り入れ、その縁で野村ホームとの取引が始まり本格的な工事業の始まりとなる。

工事業を営む中で何度も日本列島を襲った、巨大台風や大地震などの天変地異。特に被害の多かった、1987年の千葉東方沖地震、1991年の台風19号による調査では長崎、1995年の阪神・淡路大震災では神戸、2011年の東日本大震災では宮城、岩手、栃木、茨城など、多くの被災地の屋根の調査、復旧工事に携わる。その経験から、経年劣化する屋根のメンテナンスの重要性を早くから提唱し、屋根の修理やメンテナンスも積極的に行うようになった。そんな中で、クーラーをあまり使わないお客様に言われた、「真夏の昼食は二階じゃ暑くてとてもじゃないけど食べて居られない」という一言から、屋根が家や居住者にできることは、雨を凌ぐ以外にもあるはずだと、研究や試行錯誤を経て、「屋根遮熱通気工法」を16年前の1998年に開発し施工に取り組み、その技術を公開する事で、住宅の超寿命化や環境配慮に関心の高いお客さまにご賛同いただき、大手ハウスメーカーや大手メーカーでも採用されました。

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建築情報誌「屋根浪漫」 弊社考案の「屋根遮熱通気工法」が掲載されました。

三代目:石川 弘樹

1979年(昭和54年)新社屋完成と同じ年、石川保博・妃富美(ひふみ)夫婦の三男として11月30日に私は生まれました。小学校の時には、瓦保管用の鉄製のパレットをジャングルジム代わりに登っていたり、友達と隠れんぼをして遊んでいました。また中学生の頃には日曜日に突然父・保博が「今からドライブしよ、ドライブ」と言われ、車に乗るのは好きだったので、「行こう、行こう!」と安易に答えた結果、片道3時間、はるばる浜松まで運搬の手伝いに行ったことなど、つい最近のように覚えています。
大学卒業後、家業とはかけ離れた、外資系婦人下着メーカーに就職しましたが、入社して2年半が経った頃、保博が入院。大きな病気では無かったにしろ、父が病気でもし倒れたら、(当時)50年以上続いてきた会社がなくなってしまうのかと思い、早く誰かが後を継がないと行けないと決心し、満3年勤務を機会に2005年に転職、石川商店に入社しました。入社後約6年程、現場で屋根工事を行いながら、屋根の点検やリフォームの打ち合わせ等で保博に同行し、新築時に施工された屋根が経年変化でどのように変わっていくかなど、多くの屋根を見ることで勉強しました。

初代、二代目共に、時代の変化を見極め、「変革」を求め行動し、結果を残しました。石川商店に代々受け継がれてきた「変革」を胸に、未来永劫お客様の屋根を守る会社として存続できるように、石川商店の三代目として精進して参ります。

私の実績報告は自分で言うのは何とも不思議な気分ですので、四代目以降に任せることにします。